は青ざめて

いじゃない

2016年03月03日 12:40




   「この寿命を、権爺に返してください」
 そう言って、女房も大川へ身を投げた。

   「死神に近付くと、権爺の女房のように命を落す」
 村人たちの噂が元に戻り、再び祠に誰も近付かなくなった。与助の倅小吉は、五才である。嫁の滋乃は、小吉を産んで所帯窶れするどころか、相変わらず美しかった。
 ある日、滋乃は昨年亡くなった父親の一周忌で、小吉を連れて実家に帰って行った。送って行くと言う与吉の言葉を遮って、
   「今日、明るいうちに実家に着いて、明日の夕刻までには戻ってきます」
 そう言い残し、小吉の手を引いて出ていった。与助が妻滋乃の姿を見たのは、それが最後だった。 

 翌日、夕刻になっても滋乃と小吉は戻らなかった。日が傾きかかったころ、与助は胸騒ぎを覚えた。
   「小吉が怪我をしているのではないか」
 それとも
  「小吉が熱を出して、難儀をしているかも知れない」
 与助の胸に、次々と不吉な思いがよぎる。居ても立っても居られず、与助は提灯を用意すると迎えに行くことにした。
   「どうぞ、無事でいてくれ」
 祈りながら、足早に滋乃の実家に向かった。途中、陽が暮れ初めた頃に、与助は荒神川に差し掛かった。知らず知らずに大声で二人の名を交互に呼び続けていた。 

 夜もとっぷり更けた頃、とうとう滋乃の実家に着いてしまった。滋乃たちは、昼過ぎには戻って行ったという。
 実家の義母が、村の若い者たちに声をかけて、滋乃たちの辿った道の脇など、手分けして探してくれたが手がかりはなかった。
   「もう、家に着いているのではないか」
 そう思いながらも、心配のために与助の胸は張り裂けそうであった。 

 龍神川の川原に差し掛かったとき、
   「子供の泣き声が聞こえたようだ」
 と言い出した若者がいた。声を殺して聞き耳をたてると、ざわざわと川の流れる音の間に、確かに子供の泣き声が聞こえた。
   「小吉、小吉何処にいる」
 喜びの声とも、泣き声とも知れぬ与助の掠れた声が、闇に響き渡った。川原に座り込み泣きじゃくっている小吉を見つけたときは、我を忘れて駆け寄り、小吉を抱きしめていた。
   「おっかあはどこだ。何処にいる」
 小吉は川面を指さした。
   「川に流されたのか」
 小吉は首を横に振った。
   「龍神さまに連れていかれた」
 泣きじゃくりながらも、しっかりと答えた。人身御供(ひとみごくう)を求める龍神さまの話は、母親から聞いて小吉は知っていたのだ。
 与助はつぶやいた。
   「滋乃は神隠しに遭ったのか」
 暗闇で、顔色など見えないが、与助の顔いたに違いない。 

 そんなことがあってから、毎年のように氾濫していた龍神川が、全く大人しい川になった。